私が毛皮のマリーズと出会ったのは、彼らがまだインディーズとして活動していた当時の、夜中のライブハウスだった。
はじめて観た毛皮のマリーズのライブは衝撃的だった。めちゃくちゃヘタクソなくせに、めちゃくちゃカッコいい!! バカみたいに音がデカくてうるさくて、ライブが終わった頃には完全に耳がやられていた。ハチャメチャで、ワケがわからなかった。こんなバンド、今まで観たことがなかった。
私が毛皮のマリーズに、恋が落ちた瞬間だった。
すぐに私は、毛皮のマリーズが発表していた作品や情報を集めた。彼らのライブや音源以外にも、彼らがどんな人間なのか、どんな音楽を聴いてきたのか、どんな本を読んできたのか、毎日どんな生活をおくっているのか、彼らの全てが知りたくなり、メンバーのブログや志磨の雑誌の連載、インタビューなんかを読み漁った。
当時の社会に出たばかりの私は、毎日忙しく働き、必死に大人を演じていた。志磨のブログを読んでいると、自分よりも年上の彼らを(コイツら完全に社会をなめてるな)と思うことがあったし、腹が立ってくることもあった。
今から思えばそれは、私がいつも心の奥底で押し殺していた気持ちを、彼らは正直に何のためらいもなく吐き出していたことや、純粋に音楽とだけ向き合い、すべてをバンドに捧げていたこと、夢を叶えていく彼らの姿がうらやましかったのかもしれない。
毛皮のマリーズに恋をして、私の人生は変わった。
成人してもういい大人だったが、私は彼らのライブを観ていたときや、彼らの作品を聴いていたとき、彼らのことを考えていたときは、いつも本気だったし、純粋でいられたと思う。純粋でいて、気持ちを素直にさらけだすことを恐れなかった。
毛皮のマリーズと過ごした時間だけは、子どもに戻っていた。ロックンロール・キッズだった。私は人生でもう一度青春時代を手に入れ、毛皮のマリーズとともに、青春時代を過ごした。
毛皮のマリーズのライブには、いつもひとりで通った。彼らのお客さんは、私以外にもひとりで来ていた人が、男女ともに多かったように思う。ひとりぼっちの MARIES MANIA と毛皮のマリーズはとてもよく似ていたし、似ていたからこそ集まり、出会えたのかもしれない。
毛皮のマリーズは、若くて純粋で、最高に美しくて、儚くて、本当にばかな人たちだった。
“ YOUNG LOOSER ”(DISK1、8 曲目に収録)は、毛皮のマリーズの一番純度が高かった季節を象徴している曲だと思う。
不器用なくせに、憑かれたようにロックンロールを信じ、自信家で、美しいものを手に入れるためには手段を選ばない彼らは、最後には自らまでを犠牲にしてしまった。
「解散」は、人生で最もこたえた悲しみと絶望だった。
2011年9月7日、メジャー3枚目となるアルバムが発売された。タイトルとアルバムジャケットは発売まで未発表だった(レコード会社のスタッフにも知らされていなかったらしい)。
発売日前日、レコードショップで私が目にしたのは、「毛皮のマリーズ解散」の文字。アルバムのタイトルは『THE END』。
処刑、または死を連想させるアートワークのジャケットには「LAST ALBUM」のステッカーが貼られていた。
前代未聞の解散劇のはじまりだった。
その夜、発売日の9月7日を迎える直前、全国のラジオ局がジャックされ、志磨による毛皮のマリーズの解散声明が流れた。
毛皮のマリーズは、その日発売された3rd アルバム『THE END』と、そのツアーをもって12月31日に解散するということが、志磨の口から明らかになった。
その夜は一睡もできなかった。
いつもひとりだったから、悲しみを共有できる相手がいなかったのだ。これは現実なのか、これまで毛皮のマリーズと過ごしてきた時間もすべて夢だったのではないかと混乱して、目の前で起こっている事実が、しばらくよくわからなかった。
2011年12月5日「Who Killed Marie ? TOUR」最終公演。
毛皮のマリーズ初の日本武道館公演は、彼らのラストライブとなった。何度も足を運んだラストツアーとほぼ同じセットリストは、武道館では思ったよりもあっけなくて、悲しむ暇もないまま、毛皮のマリーズを目撃した最後の夜は終わってしまった。
実際のところ、ラストライブが終わっても、6月にバンドのオフィシャルサイト上で突然始まった謎のカウントダウンはまだ続いていたし、まだ何かが起こるのではないかと、本当に年末で解散するということが信じられないでいた。
2011年12月25日午前0時。
トップページのカウントダウンが「0」になったオフィシャルサイトは、アクセスが集中してサーバーがダウンしてしまった。
ようやくサイトにつながり、私が彼らからの最後のメッセージと、最後のプレゼント “ クリスマス・グリーティング ”(DISK 2 ラストに収録の未発表曲)を聴くことができたのは、クリスマスの午後、雪の中を走る列車に乗っていたときだった。
彼らからの最後のメッセージと “ クリスマス・グリーティング ” を聴き終えてようやく、本当に終わったんだなと思った。
毛皮のマリーズとの青春時代を終えた、別れの瞬間だった。とても寒い日だった。
それから2年と少しが経ち、3月19日に毛皮のマリーズのオールタイムベストアルバムが発売されるというニュースを耳にした。
この3月には多くのアーティストのベストアルバムが発表されるようだが、世界で一番愛が込められた作品は、毛皮のマリーズの『MARIES MANIA』だ。代表曲や人気の曲がただ収録されたものではなく、元メンバーによって時間をかけて選曲され、編集された作品だからだ。
この作品は、毛皮のマリーズと MARIES MANIA が共に過ごした青春時代を、元メンバーがふりかえり、まとめてくれた、世界で最も美しいベストアルバムなのだ。
終わりから2年と3ヶ月。このベストアルバムを聴いて、穏やかに青春時代を懐かしむことは、まだ早すぎてむずかしいだろう。しかしこの機会に毛皮のマリーズから MARIES MANIA へのベストアルバムを受け取り、毛皮のマリーズと MARIES MANIA が青春時代を共にした証として、一生大切に持っておきたい。
私は、毛皮のマリーズと同じ夢を見て、同じ青春時代を過ごし、共に年を重ねたことを誇りに思う。
あの頃の、今より少し若かった自分には「よく毛皮のマリーズを見つけたね。よく出会ったね。」とほめてあげたい。
毛皮のマリーズ ありがとう
今でも あいしてます
2014年3月
毛皮のマリーズへ MARIES MANIA より
追伸
私は今また、1組のあたらしいロックンロール・バンドを見つけ、恋に落ちています。
※毛皮のマリーズのオールタイム・ベストアルバム『MARIES MANIA』に寄せて書いたこの手紙は、2014年6月号の「ROCKIN' ON JAPAN」JAPAN REVIEW に掲載されたものです。