はじまりの記憶。

 

気づいたら10年経ってた。

オリジナルドレスコーズの初ライブのことだ。

 

7月11日の『Trash』でのメジャーデビューはアナウンスされていたものの、デビュー前の急な東名阪ツアーの告知。

「来週ライブやります」的な。

 

東名阪のどこも200人入るか入らないかぐらいの小さなライブハウス。

急なニュースで、チケット発売日も平日だったので、わざと現場に行く用事を作って、10時にドトールからガラケーでなんとかチケットが取れたのをおぼえている。

 

10年前のじぶんのツイートを探しみると、初ライブの感想は、この一言だった。

 

 

 

たしかにそうだった。

絶句というか、衝撃が凄すぎて、こう書くしかなかった。後頭部をいきなりどつかれたような(まさに事故)そんな気分になった。

あとは、あの日の Pangea のにおいとか、湿度とか、しまが言っていたこととか、歌詞の、本当に断片的な記憶しかないのだけれど、10年前の記憶を書き留めておこうと思う。

 

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初ライブのセットリスト

 

 

 “1954” でライブが始まったことは、今でもよくおぼえているし、

なんでしまがはじめに “1954” を歌ったのか、今ではよくわかる。

 

ぎゅうぎゅうの、今で言う密なライブハウス。

整理番号も後ろのほうだったから、9センチのウェッジソールを履いて身長を167センチに伸ばして行ったけど、お客さんとお客さんの隙間からたまにしまが見える、そんなかんじだった。

お客さんの誰もが、どんなバンドなのか、どんな曲を歌うのか、全くわからずに観に来ているわけだけど、“SUPER ENFANT TERRIBLE” で「止まるとぼく死ぬから」は確実に聴こえて、ライブ後に Twitter でみんな大騒ぎしていた。

 

しま:水がない、水をください。

たぶん最前列のおにいさん:ここ!

しま:じゃああなたたばこもください。

たぶん最前列のおにいさん:タオルやったらある!

 

たぶん最前列のおにいさんから借りたタオルで顔を拭くしま。

このたぶん最前列のおにいさんは後に知り合うマヨ兄(@FESTIVAL_EXPS)だった。

そんなやりとりのあと、結局たばこがなくて、メンバーはいったん楽屋に戻って行ってしまった。

 

たばこを吸いながら戻ってきてはじまったカバー曲、“Tokyo Joe” 。

しまがたばこを持ったまま、手拍子しながら歌うものだから、火花が散って花火みたいできれいで、マルが弾くオリエンタルなギターのフレーズによく合っていた。

そして “Louie Louie” 。カバーが2曲続いた。

色んな人がカバーしている“Louie Louie” だけど、ドレスコーズの “Louie Louie” は、今まで聴いたことのない “Louie Louie” で、(これ“Louie Louie” か? )と一瞬わからんかった。

最後に演奏された “Trash” のときだけ、しまがモニターの上に乗ったり、天井に這っているパイプにぶら下がったりしていたからよく見えた。

 

はじめに歌った “1954” も、デビュー曲の “Trash” もしまにとってはケジメみたいな曲でもあったと思う。でもわたしにとっては、

 

さあ、Blue

なあ、Blue

 

という歌いだしは、大好きなバンドをなくして、大キライな6月を散々憂鬱に過ごしていたじぶんが呼びかけられているように思えた。

そう、わたしは Blue ちゃん。

 

 

どうもありがとう

これからいっぱい会おうよ

ドレスコーズでした

 

 

1時間もなかったステージ。

カバー以外1曲も知らないバンドのライブ。

アンコールを待っていたけれど、もう曲がない。

閉演の会場アナウンスのあと大きな拍手が起こって、生まれたばかりのバンド・ドレスコーズの初ライブは終わった。

 

前年の12月5日の日本武道館での解散ライブから半年以上ぶりに見たしまの姿。

 

閉演後まだ名残惜しくて、Pangea に近くに居たら、FM802 のDJ 飯室大吾さん(@ore_daigo_802)が出て来られた。

大吾さんは昔から番組で毛皮のマリーズの音楽を紹介してくれていて、しまもメジャーデビューした頃から大吾さんの番組によく出演していた。

シングル『Mary Lou』の大阪でのリリース記念イベントの司会も大吾さんだった。

ドレスコーズの初ライブに、そんな昔から応援してくださっていて信頼している人の姿があったのはとてもうれしかった。

 

 

 

デビュー前夜のあの時期は、「ドレスコーズ」の情報が少なすぎて、毎日ヒマがあれば Twitter で検索したり、ググりまくっていた。

Twitterで、色んなフォロワーの人と知り合ったのもこの時期だ。

御堂筋のスタバで amato くんのこのツイートを見つけたとき本当にびっくりして、思わずフォローしてしまった(今読んでもいいツイート)。

毛皮のマリーズの記事をたくさん読んできたけど、プロのライターが書いているはずなのに、その中には「批評」や「分析」と呼べるものが本当に少なかった。(邦楽の音楽記事のレベルを上げたのは、志磨遼平とドレスコーズの『平凡』以降の作品だと思う。)

amato くんのツイートを読んで、批評ってこうやってやるのか… と感心して、こんなふうに物事を捉えてじぶんの言葉で表現できてカッコいいな、じぶんもこんなふうに書けるようになりたいなと思った。(まだに書けるようになっていない…)

 

あの日も雨が降ってて、じめじめした季節だったな。

10年も書けなかったけど、これがわたしがいちばん好きなバンドのはじまりの記憶です。

 

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いつかスガさまが Twitter にあげてくださった2012年6月12日のステージのしま。