“銃・病原菌・鉄”と、“鶏と蛇と豚”。

 

 

令和元年は、多くの名盤が発表された年だった。

そして私の今年の視聴回数ベスト3 はどれも 5月に発表されている。

 

ドレスコーズ『ジャズ』
椎名林檎三毒史』
EGO-WRAPPIN' 『Dream Baby Dream』

 

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令和を迎えた日の渋谷の街 。

 

 

『ジャズ』と『三毒史』。

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3文字のアルバムタイトルと、靄のなかに佇む肖像。新作の情報が公開されたとき、しまと林檎ちゃん(だけではなくたぶん多くの芸術家たち)は今、同じことを感じ、考えているのではなかろうか…と勘付いた。

「人類」がテーマのふたつの作品。

『ジャズ』が人類の滅亡を記録した、「人類最後の音楽」であるのに対し、『三毒史』には「人類の歩み」、そして「生から死」をアルバム1枚を通して時系列で描かれている。

10年以上キャリアの差があり、性別も違うふたりを、実はよく似た音楽家なのかもしれないと思いはじめたのは、しまがドレスコーズを結成し、その活動が公になった頃だった。

 

 

或る閏日の出来事。

東京に大雪が降った7年前のある日、当時、志磨遼平丸山康太菅大智の3人組だったバンドに、ベーシスト山中治雄の加入が決定した。

都内の小さなスタジオで、ドレスコーズというロックンロール・バンドが誕生したその日の同じ時間に、日本武道館では、東京事変の最後の公演が行われており、事変はこの日を以って解散した。

それは、2012年2月29日。閏日の出来事だった。

  

  

没個性、メンバーの才能を生かす。

ドレスコーズの前作『平凡』のテーマが「没個性」だったことは記憶に新しいが、ドレスコーズ の1st 『the dresscodes』(2012年)が発表された頃のインタビューを読んだとき、私は東京事変の『娯楽(バラエティ)』(2007年)を思い出した。

毛皮のマリーズ時代は全曲作詞作曲を担当し、2ndアルバム『ティン・パン・アレイ』(2011年)は、ほぼ単独で制作したしまだったが、オリジナル・ドレスコーズの作品の作曲はすべて、志磨遼平ではなくドレスコーズ名義になっている。特に1st アルバムは、ほぼスタジオでのセッションで生まれたらしいし、しまがプロモーション活動で不在時に、丸山康太山中治雄菅大智の3人だけで作った楽曲もある。

事変のほとんどの楽曲の作詞・作曲を手掛けてきた林檎ちゃんが、前出の3rd アルバム『娯楽(バラエティ)』では、作曲をすべて他のメンバー(浮雲伊澤一葉亀田誠治)に任せ、自身は歌唱と作詞に専念した。

彼女がそうしたのは、彼らの作家としての優れた才能を存分に出すため。そして、彼女が事変結成時から常に「個人ではなくバンドとしての表現」を目指していたからだった。

毛皮のマリーズというバンドを失ったしまは、生まれたばかりのドレスコーズに、自身の言葉や歴史をかぶせてしまうことをひどく恐れていたし、とにかく自分の大好きな3人のメンバーの才能をみんなに自慢したかったのだと思う。オリジナル・ドレスコーズ時代のしまはずっと、バンドの4分の1の存在になることに憧れていた。

このメンバーでの活動は 2年半で終止符を打ったが、私は志磨遼平丸山康太山中治雄菅大智のあの4人ドレスコーズは、ちゃんとバンドだったと思うし、私は今でも、世界一カッコいいロックンロールバンドは、あの4人のドレスコーズだと思う。

  

 

三文オペラ三文ゴシップ

劇伴のお仕事も多い林檎ちゃん。

f:id:madorigirl:20191125220601p:image(↑ Wikipedia椎名林檎」より転載) 

 

昨年しまが音楽監督を担当したのは、91年前のベルトルト・ブレヒトとクルト・ヴァイルによる音楽劇『三文オペラ』。ドイツで生まれた作品が、90年後の横浜KAATで上演された。

 

ちなみに林檎ちゃんの『三文ゴシップ』の由来は『三文オペラ』ではなく、ギブソンのSG らしい。

 

誰もがタイトルぐらいは知る名作。劇中の大半が音楽で、そのすべての音楽の編曲と訳詞。(ていうか劇中の言葉の半分以上が歌で、その訳詞だからほとんどセリフの訳みたいなかんじ。)

そして劇の本番中も伴奏兼乞食役でずっと舞台の隅っこにいて、演奏してるか、じっとしてるか、歌ってるか、わめいてるか、鍋食べてるかで、初の音楽監督なのにいきなり仕事量すごいなと思った。音楽監督っていそがしいな。

 

そして今年も同じくKAATで12月12日から12月22日まで上演された『マクベス』でもしまは劇中音楽を担当した。

 

来年1月11日公開のアニメ映画『音楽』の主題歌 “ピーター・アイヴァース” も情報解禁されているが、

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そのうち主題歌だけでなく、林檎ちゃんみたいに映画全編においての劇伴を担当する作品もでてくるのではないかと思う。

(今気づいたけどふたりともラーメンズと仲いい。林檎ちゃんは小林賢太郎さん、しまはギリジンさん。 )

 

 

フロントも張れる体質で、プロデューサー気質。

しまと林檎ちゃんの音楽も好きだけど、私は単純にふたりの顔ファンだ。なんもしてなくて立ってるだけでもサマになるし、かっこいいしかわいいからマネしたい。

ふたりのすごいところは、楽曲提供も多くプロデューサー気質なのに、フロントを張れるフィジカルな魅力も持っているところだと思う。

渋谷系でいうと、小西(康陽)さんと野宮麻紀さんをひとりでやれるような人たちだと思うし、ホント天才だと思う。

こんな記事が出たばかりだけど ……

natalie.mu

ふたりとも自身を「新宿系」と公言していた時期もある。

 

 

気分屋な自作自演屋。

『平凡』と「“meme” TOUR」、『三文オペラ』と「PLAY TOUR」と緻密で演出性のある作品や公演が続いていたと思ったら、突然夏に「360°完全解放GIG」とかやるし、そしてその次のクリスマス・ライブ(昨年2018年末「12月23日のドレスコーズ」)は、宗教がテーマ……。

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そしてしばらく静かに制作期に入ってたのかなと思ったら、完成させてきた作品が「人類最後の音楽」……アーメン

しまのバイオリズムは時々高低差ありすぎて耳キーンなる。

 

男性は毎日同じ時間に起きて出勤して同じ時間仕事をして同じ時間に帰って寝てといったルーティーンが得意な生き物なのに対し、女性は男性に比べるとそれが苦手な生き物である。だって生理があるから。体調や気分のバイオリズムに左右されるから、毎日同じ感情で同じことをするのが苦手な生き物なのだ。ということは、しまは女の子なのか?

だから女装とか女性目線の歌詞が多いのか?

まあ、しまは他人に決められたルーティーンを守ることが極端に苦手そうなのは観ていてわかる。(自分もそうだけど。)

そういえば、しまも林檎ちゃんも高校を中退している。

 

 

「女の子たちの人生のサントラになっててほしい。」(by 椎名林檎

私も一応女の子だし、気分の浮き沈みが激しい。月のバイオリズムの影響もあるけど、メールひとつでいちいち感情が激震する。いくら好きな音楽でもいつでも聴きたいというワケではない。

たとえば、とても大好きなふたりのデュエットで、とてもとても大好きな楽曲だけど、林檎ちゃんとトータスの、マーヴィン・ゲイとタミー・テレルばりのソウルフルな “目抜き通り”(『三毒史』12曲目) は、体調によっては(うるさいな……)と感じてしまう日もある。(林檎ちゃんトータスごめん…)

でも、林檎ちゃんの作品のすごいところは、最新アルバムの中にいつでも絶対今の気分の曲があるところだと思うし、どのアルバムを聴き返しても、その頃の記憶がよみがえってくる。

 

だから某関ジャムでの「人生のサントラ」発言は、すんごいナットクしたし、

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林檎ちゃんの音楽はいつもやさしい。

 

 

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そう、殿方はルーティーンしててほしい。

 

……ここまで書いているとまた、しまは殿方ではなくこっち(女の子)側の人間のような気がしてくる。

 

しまも林檎ちゃんのとあるアルバムのオープニング・ナンバーのイントロを聴くと、当時の感覚が鮮明によみがえるらしい。(←ドレスコーズ・マガジン「本と音」参照。)

……やっぱりしまは女の子なのか?

 

 

香りにたとえるなら……。

昔は好きな音楽を「こんなふうになれたらいいな」とか、「林檎ちゃんみたいになりたいな」と思いながら聴いていた。私にとって音楽とは、たぶん「憧れ」だったんだと思う。

今でもなりたい気分に合わせて曲を選んだら、林檎ちゃんがそういう気分にさせてくれる。香水のように、自分の肌にまとうような存在。

 

毛皮のマリーズを聴いたとき人生ではじめて、音楽を聴いて「これは私の曲か?」と思った。

自分と違う性別のしまの歌を、今まで好きになったどんな名曲よりも「わかる……。」と思った。自分の日記を読んでいるような音楽。バンドがドレスコーズに変わっても今でもずっとそうだ。

もちろんこんな素晴らしい音楽は私には作れないし、人としてもしまに憧れてるけど、しまの音楽は体臭(?)みたいに、自分の身体の一部のような存在なのだ。

 

林檎ちゃんの音楽が香水なら、しまの音楽は体臭……。

 

 

作品・ライブごとにメンバーが変わるバンド。

事変の解散後、林檎ちゃんはソロ名義に戻り、

しまは今もバンド名義で活動を続けている。

ソロとバンド、名義のちがいはあるけれど、作品やライブごとに毎回ふさわしいメンバーを集め、バンドを結成するというスタイルは共通しているし、ふたりはいつも楽曲にとって最良のメンバーと音、声を選択するから、その音楽が求めるなら自分がリードボーカルをとらない曲さえもある。

『ジャズ』や「PARTY TOUR」などのメンバーをみてもわかるように、並み外れた才能を持つ彼らに集まるのは一流の演奏家ばかりだ。

林檎ちゃんにとっての斎藤ネコ先生は、しまにとっての長谷川智樹先生のような気がする。

 

固定したメンバーでのバンドが続かなく、解散経験が豊富なふたりは、バンドに向いてないという見方もできるかもしれない。しかし、しまと林檎ちゃんは誰よりも数多くのバンドで作品を遺しているのだから、日本で最もバンド活動に向いているのは、このふたりなのではないだろうか。

 

 

2020年を前に。

ドレスコーズ結成/東京事変解散の閏日からもうすぐ8年。あれから2度目の閏年、2020年をむかえる。

林檎ちゃんには、オリンピック開閉会式の音楽監督という大仕事が待っている。

ぼくらの暮らすこの国で

オリンピックがもうすぐある

と歌うしまは来年、毛皮のマリーズのメジャーデビューから(※ひとりで)10周年をむかえる。

 

しまが  誰とでもやるぼくバンドビッチ  なら、 

林檎ちゃんは、割とデュエットビッ…(以下自粛)。

 

 

志磨遼平と椎名林檎

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よく似たふたりの音楽家の接点が意外と少ないのは、

よく似た道を、よく似た方向にずっと歩き続けているからではないだろうか。

この先、長い音楽家人生の旅路でふたりが出会うことがあるかどうかはわからないが、

素晴らしいふたりの音楽家の作品を聴きながら、彼らと同じ時代を共に生きているということは、私にとって “至上の人生” だと思う。

 

 

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