内田裕也さんとは3度、お会いしたことがある。
お見かけした。とも言う。
最後にお見かけしたのは、5年前。2014年3月6日。
ローリング・ストーンズの「14 ON FIRE 」TOUR の日本公演最終日、東京ドームで私ははじめてローリング・ストーンズを観た。
60's のヴィンテージスーツと帽子、ヒョウ柄のコートでパッキパキにキめて、東京ドームのスタンド席で開演を待つ。
お客さんの年齢層が高い。
ほぼメンバーと同世代ぐらいの、オーラが一般人とは明らかに違う、かっこいいおじさま、おばさまたち。
まわりに私と同世代の人はひとりもいない。
すると、開演時間直前に、アリーナ席のど真ん中に、見おぼえのあるデカいロン毛の若者三人衆が入ってきたのが見えた。
それはどう見ても、
その日が誕生日の志磨遼平と、越川和磨、菅大智。
肉眼でも、後ろ姿でハッキリわかる。
私は、しま西くんスガさま越しにローリング・ストーンズを観ることになった。
……と思ったが、客電が落ちて、ステージに照明が当たり、コンサートがはじまると、しま西くんスガさまのシルエットを見失ってしまった。
アリーナのしま西くんスガさまを必死に探していると(←ストーンズさま観ろよ)、見つけたのは、しま西くんスガさまではなく、
しま西くんスガさまがいたあたりのすぐ前方に、
白髪のロン毛。
暗くても、ぼやっとした白いかたまりがよく見える……
あのシルエットは……、
日本で、いや、世界でもひとりしかいない。
完全に、内田裕也。
私は、しま西くんスガさま越しではなく、
内田裕也越しにローリング・ストーンズを観たのだ。
そして、混乱をさけるためか、ロッケンローラーは、アンコールの “サティスファクション” の途中で退場。
黒服3人をたずさえて、
車椅子を押してもらっているのに、
なぜか車椅子に乗りながら、杖をついて、
こちらのほうに来られた。
ロッケンローラーとの距離=5m まで近づいたところで、
ロッケンローラーは、私がいるスタンド席の真下の、
おそらく、永ちゃんが東京ドーム公演でハーレーで出てきた出入口から出て行かれたと思う。
私は気が気じゃなく、アンコールどころではなかったが、“サティスファクション” だった。
はじめてロッケンローラーに会ったのは、
そこからさらに2年ぐらい前だったと思う。
当時私は、午前3時すぎまで残業→タクシーで帰宅→睡眠不足→起きられない→9時の出勤時間に間に合わないからタクシーで出勤、みたいな負のスパイラルで社畜の日々だった。
そんなある日、
朝はよく混む道で案の定渋滞し、
タクシーは徐行運転。
そのとき、側頭部にただならぬ雰囲気を察知したため横を確認すると、
となりのタクシーに内田裕也。
目を疑ったが、完全に内田裕也。
ロッケンローラーとの距離=1mでしばらく並走。
動揺して、朝マックのハッシュポテトをタクシー車内に落とす。(運ちゃんごめん。)
たぶん、サングラス越しに目が合っている……ので、
とりあえず会釈をしたら、
うなづいてくれた。内田裕也が。
そこで、渋滞を抜けて、ロッケンローラーと解散したのだが、
おどろくことに、
次の日も寝坊して、
タクシーで出勤して、
同じ道で渋滞して、
同じ場所で……
2日連続で内田裕也に会った。
動揺して、その日はタクシーの車内にアイスコーヒーをちょっとこぼして(運ちゃんごめん。)、
また会釈したら、
ロッケンローラーもまたうなづいてくれて、
その日もその道で、解散した。
なんでこんな時間に、大阪のこんなところで、しかも2日連続でロッケンローラーがひとりでタクシーに乗ってるん? と不思議に思ったけど、
桑名正博さんが亡くなる前に入院されていた病院が、
当時私が勤めていた会社の近くにあり、
ロッケンローラーは、桑名さんのお見舞いに通われていたのだ。
私のお客さんであり、その病院関係者の方の話によると、
内田裕也さんは、お見舞いに来られると、
集中治療室で意識がない桑名正博さんを
(サングラス越しで)しばらくじっと見つめて、
「スタンダップ!!!!」
(Stand up )
と唱えて、毎日帰られていったそうだ。
結局、裕也さんとお話しすることなく、
桑名さんは旅立って行かれたけど、
裕也さんと桑名さん、もう会えたかな。
私には、いつも会うと必ず新しく仕入れた内田裕也ネタを披露しあう友達がいる。
その友達に話すために裕也さん情報を集めるのがたのしみだったし、
またいつかどこかで突然ロッケンローラーに接近できたらいいなあ、なんて思ってたけど、
もうお会いできることはないんだなあ。
そんな、ロッケンローラーとの(一方的な)思い出。
でもまたその友達に話したいから、
夢には出てきてよね、ロッケンローラー。
(おしまい)