味園ビルに恋して。

 

 

大阪千日前、裏通りの歓楽街にひときわ魅惑のネオンを放つ巨大な建物。

それは、わたしがかつて恋をした「味園ビル」である。

 

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1950年代にキャバレー、ダンスホール、ホテル、宴会場、スナック街を含む、複合レジャービルとしてオープンした味園ビルは、1980年代のバブル経済期まではミナミを代表する存在だった。

父や叔父の話によると、地下にあったダンスホールに元キャロルのメンバーが出演していたり、当時ゴーゴーが流行っていたので、若者もよく踊りに行っていたらしい。

ここ数年の間に、NHKの『ドキュメント72時間』で「大阪ミナミ・真夜中のアングラ長屋」として放送されたり、戦後ビルマニアたちからも注目を集め、いくつかの写真集や、一般向けの建築本にもよく味園ビルが掲載されている。

 

全盛期は1000人ものホステスが所属していたという地下のマンモスキャバレー・ユニバースが2011年に閉店し、ホール貸しされるようになってからは、EGO-WRAPPIN'の年末恒例ライブや、年始にも毎年おもしろいライブイベントが開催されていて、今わたしにとって味園ビルは、年末年始に毎年顔を出す親戚の家みたいな存在かもしれない。

 

わたしが味園ビルに恋して足繁く通っていたのは10年くらい前、毛皮のマリーズと出会った頃だった。

当時大阪のクラブシーンで活躍していたTRIBECKER(トライベッカー)というバンドが好きで、ほとんどのライブに通っていた。

バリトンサックス、トランペットが入った編成で、ジャズとロックを混ぜ合わせたようなサウンドにのったボーカル・片岡澄人さんの歌声を、ヴィレヴァンで 視聴した瞬間、ひと耳惚れしてしまい、直近の梅田シャングリラではじめて彼らのステージを観るともう、どハマりした。

 

TRIBECKERのライブでステージの最前列にいつもいるおねーさんたちが、(サクラか?)と思うくらいすっごい美人ばっかで、フロアの後ろのほうで踊っているフアンの人たちもみんなおしゃれでかっこよかった。

音楽もライブもビジュアルもお客さんも、TRIBECKERのなにもかもがかっこよかった。

なにこのおしゃれな大人の世界!とあこがれたあの世界観は、高山泰治さんが手がけるジャケットにもよく写しだされていると思う。

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とにかく自分もあのかっこいい人たちのいる空間に溶け込みたくて、がんばっておしゃれしてライブハウスに通って、ステージが終わったあともフロアでメンバーとか、すっごい美人なおねーさんたちとか、おしゃれでかっこいい人たちと仲良くなって話をしたのがたのしかったなあ。

年上のフアンの人たちが「こんないいライブ観たあとに蛍光灯ガンガンの電車乗って帰るのヤじゃない?」とか言ってて、便乗してタクシーでミナミに行って朝までお酒を飲んだのとか(今考えると、気持ちはわかるがめちゃくちゃな理由である)、思い出がたくさんある。みんな元気かな……

わたしにライブハウスの文化や、夜遊びのしかた、あたらしい世界をおしえてくれたのは、TRIBECKERだった。

毛皮のマリーズと出会ったのも、TRIBECKERと何度か対バンしていた、インディー時代のTHE BAWDIES の ROY と話していたときにおしえてもらったことがきっかけだった。

 

そのTRIBECKERがはじめて主催したイベント『LADY LUCK』に、味園ビルに店を構えるBAR「涙のイタリアンツイスト」(以下イタツイ)が、出店していたのだ。(店名はモチロンあのバンドの曲名から。)そのイベントの打ち上げでメンバーから「味園ビル」のおもしろい話をいっぱい聞かされてはやく行ってみたくなった。

 

次にTRIBECKERが出演したのは、アメ村の今はなきPIPE69(パイプロック) という小さなライブハウスで開催された、マネースパイダー主催の『HOUSEROCKIN' 』(通称:ハウロ)という、オールナイトのイベント。

ライブがハネた午前3時、始発までどうしようかと言ってたときに、TRIBECKERのメンバーにイタツイに行ってみたいと言ったら、お店に電話をかけてくれたので、ファン3人でアメ村から味園まで歩いて行くことにした。

 

今みたいにGoogle Maps とかないから、面倒見がいいおにいちゃん(TRIBECKER のメンバー)におしえてもらった道順を思い出しながら、真夜中のミナミをおそるおそる歩いていくと(割と人がいなくて静かだった)、味園ビルが建つ通りについた。

周辺の飲食店はすでに閉店している時間。

暗闇のなか、向かいのラブホよりもひたすらギラギラしたネオンの看板が目立つでっかいビルを目にした瞬間、わたしは恋に落ちた。

 

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ビルの前まで歩いて行くとあらわれる、噴水を中心に描いたスロープが魅力的すぎて、スロープをうまく歩けない(←たぶんライブで遊び疲れたのと歩き疲れたのとお酒のせい)。

 

なんとかスロープを3/4周歩き進んだところで、大理石の壁、エキゾチックなデザインのペンダントライトがある2階の入り口にたどり着いた。

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数段の階段を昇ると、映画のなかに迷い込んでしまったような世界が広がっていた。ここは日本か? なに時代? 夢なのか?と思ったけど、ムリして履いたヒールの靴ずれが痛いから、夢じゃない。

入り口の階段を昇ったところから伸びるなが〜い廊下の両サイドにドアがたくさんあって、いろんな看板がある。そしてそのドアの奥ぜんぶがお店になっているようだ。

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よく見ると廊下はゆる~いスロープになっていて、突き当りを曲がるとまたスロープになっていて、迷子になりそう(嬉)! 

スロープを何周かぐるぐるまわって、何度か通りすぎてやっと「涙のイタリアンツイスト」の看板と、真っ赤な扉をみつけた。

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 ↑ 10年前の味園ビル2階 (2019.02.19 追加)

 

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  ↑ 味園時代の Bar 涙のイタリアンツイスト(2019.02.19 追加)

 

ドキドキしながら真っ赤な扉をあけると、なんと!お店の中も真っ赤だった!

奥に長いお店のカウンターには、すでに3枚のコースターが置かれていて、『LADY LUCK』に来ていたバーテンのジュンくんとシュウくんが待っていてくれた。

無造作ヘアーが流行っていた時分に、ポマードでビシッとキメたジュンくんとシュウくん。ふたりの50's ヴィンテージでアメリカンなお洋服の感じも好きだし、音楽の好みもよく合う。

それ以来ライブのあとや、夜遊びの最終目的地はいつもイタツイで、真夜中から朝まで、お酒を飲みながらジャズやソウルミュージック永ちゃん、ときにはやしきたかじんのレコードを聴きながら過ごした。

音楽の話も恋バナもよくしたし、仕事の話とか悩みも聞いてもらったり。マーヴィン・ゲイの “Stubborn Kind Of Fellow” とトータス松本のカバーとレコードを聴き比べて遊んだりもしたなあ(←トータスすごいな!!!てなった)。

 

朝が来て、赤い扉をあけてゆるいスロープをとぼとぼ降りていくにつれて、明るくなった外の光が見えてくる。

もう夜が終わって、味園ビルを離れないといけない。離れたくない。

外のスロープの中心の噴水から聴こえてくる水音は、いつも切なかった。

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味園ビルには数年通ったけど、TRIBECKERのメンバーの半分が上京してライブがほとんどなくなったこと、イタツイが味園ビルから移転したこと、そしてわたしはもっと夢中になるバンドを見つけて、味園に行く理由はなくなっていった。

 

時代は変わってゆく。

 

今、味園にはもう、知っている人のお店はひとつしかない。

表のスタイリッシュなモノトーンの看板もあの頃はなかった。

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 ↑ 看板がスタイリッシュじゃない10年前の味園ビル(2019.02.19 追加)

毎年のようにお店が入れ替わっているし、20代の若い人を多くみかける。

味園は、若い経営者たちが夢をかなえるための修行の場なのかもしれない。

20代前半で味園にイタツイをオープンしたシュウくんとジュンくん(ふたりはしまと同い年)。自分とあまり歳がかわらないのに若いふたりでお店を経営していて、深夜なのに満席になるぐらい人気のお店になって、もっと広いところに移転していって、いつもすごいなあと思っていた。

こないだ今のイタツイでジュンくんと、「味園は若い人のところやからね。あの頃はみんな若かったね。」なんて話していた。 

 

戦後ビルマニアの間では、そのビルが男性か女性かについて討論することがよくあるんだけど(←キモい)、味園ビルは女性だと思う。

今は多くの若者の、そして50年代から男性たちの、いつの時代も無数の夢をやさしく包み込んできた女性だ。

 

 

味園ビル」を知るきっかけになったイベントのTRIBECKERの対バンが小島麻由美さんだったこと。 

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夜遊びしてた日にたまたまPIPE69に寄ったら、その日もハウロのライブがハネたあとで、壁側に髪と手足のやたら長いお兄さんがしゃがんでいて、その人はあとで知る毛皮のマリーズのしまだったこと。

 

味園ユニバース』という映画は、ドレスコーズのデビューシングル『Trash』が主題歌の映画『苦役列車』と同じ山下敦弘監督の作品だということ。

 

TRIBECKERが対バンしたほとんどのバンドが、毛皮のマリーズとも対バンしていたり、関わりをもつこと。

 

わたしとしま、TRIBECKER、味園ビルにまつわるエトセトラをあげていくとキリがないけど、TRIBECKERに出会わなかったら、わたしは今もしまの音楽に出会えていなかったかもしれない。

 

味園ビルはわたしの、あのあまい季節の象徴のような存在なのだ。

 

あの味園ビルに今週末しまが、ドレスコーズが来る。

 

 

 

こういうの、エモいというのでしょうか。

 

 

 

 

ここまで書いたことはわたしの個人的な想いだけど、前野健太さんとしま、新宿系のおふたりに味園ユニバースなんて、ぜったい似合うと思う。

前野健太×ドレスコーズのツーマンツアーのファイナルに、これ以上ふさわしい場所はない。

 

 

ただひとつだけ、問題がある。それは、ファイナルの日程である。

毎年たのしみにしている年に一度のウルフルズのヤッサ@万博記念公園もみじ川芝生広場とがかぶってしまった……。

 

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つらい……。

 

しかし悩むことなくわたしは今年、万博ではなく、味園に行く。

ウルフルズではなく前野健太×ドレスコーズを選択する。

 

これは、行かないと絶対後悔すると思います。

 

全国のみなさん、来週9月29日(土)味園ユニバースでの、前野健太×ドレスコーズざくろ ~歌をくわえた犬たち〉というツーマンツアーのファイナル公演に必ず行きましょう。

 

そして台風24号は、こっち来んな!!

 

maenokenta.com